


長谷部 晶子(あっきー)さん
2期から天プロに入る。
「最狂の凡人が見つけた、唯一無二の自分。」
天プロで「手放す」ことから始まり、諦めかけていた「母になる」という願いを叶え、今はやまけんの右腕としても活躍するあきこの5年間の物語。
やまけんさんとの出会い

1.
別世界の人だと思っていた
やまけんさんとの出会い

はじめて「やまけん」という名前を聞いたのは、2018年。
当時、関西で起業したばかりの私は、商工会議所のセミナーで彼の講演をたまたま聴いたんです。
その瞬間、「すごい人がいる」と思ったけれど、当時の私はまだ別の経営塾に通っていて、本格的に関わることはありませんでした。
それからSNSの時代になって、彼の名前が再びタイムラインに流れてきたんです。
圧倒的な勢い。だけどどこか自分とは違う世界に見えて、遠くから見ているだけだったんです。それから少し時を経て、「天プロ」が始まると聞きました。
1期に応募しようとしたけれど、以前の「バリッ!キリッ!なやまけん像」が頭に残っていて正直迷ってしまって。結局1期には申し込めなくて、しばらく経ったある日。SNSで天プロ1期の卒業論文を読んだんです。
そこに息づいていたのは、ビジネスよりも「人の生き方」そのもの。気づけば私は、滑り込みで2期に申し込んでいました。

2.
肩書きだらけの
「自分迷子」
天プロに入る前の私は、マルチな働き方をしていました。企業研修講師、コーチング、経営者の右腕、人事コンサル。
どの仕事も好きだったし、求められてもいた。
でも気づけば、「誰かの役に立つ私」ばかりが前に出ていて、 「私自身が何者なのか」が、わからなくなっていて…
正直、もう疲れていたんだと思います。身を粉にして動き続けていたから。
仕事はある。でも心が置いてきぼり。
そんな「自分迷子」のまま、がむしゃらに走っていました。
唯一無二のサービスをつくりたい。
それが私を天プロに向かわせた理由でした。
けれど、本当の意味での「唯一無二」は、スキルや肩書きのことではなかったことを、天プロに入ってから知りました。

2.
全信全疑の
3年間

入った瞬間、カルチャーショックでした。
世間で「正しい」とされることが、ここではあまり重要ではない。逆に「普通じゃない」と思われることが、大切にされている。
そんな「異文化」に最初は戸惑いながらも、私は決めたんです。
「全信全疑。全部を信じて、全部を疑う」
これを徹底的にやってみようと。
仕事も、習慣も、価値観も、資格さえも手放しました。自分が積み上げてきたものを一度ぜんぶ置いて、まっさらな自分と向き合うことにしたんです。
家族にも「3年はこういう生活になる」と宣言し、没頭の日々が始まりました。やがて天プロは私にとって「ビジネススクール」ではなく、「生き方の再構築の場」になっていました。
天プロとの出会い

3.
ぶつかり、ほどけ、
実現した長年の執着

その過程では、パートナーシップにも変化が起きました。衝突もあったけれど、私は初めて自分の本音を言えるようになったんです。
家族と一緒に天プロの合宿に参加して、私が信じる世界を体感してもらったこともあります。そのおかげか、少しずつ、「それならやってみたら」という言葉が返ってくるようになりました。
そしてもうひとつ、大きな出来事が起きたんです。
私は「お母さんになりたい」という強い執着を、ずっと抱えていました。
でも体の事情もあって、どこかで諦めようとしていたんです。
それを天プロの中で、無理に剥がすのではなく、「降参」するように手放したとき。
すべてがスルッと軽くなって。
そして、まるで奇跡のように、
命を授かったんです。
私は44歳で、母になったんです。
4.
最狂の凡人
として生きる

今の私は、やまけんさんの右腕として、プロモーションやプロデュース、運営のすべてに関わっています。
2018年、初めてやまけんさんを知った時には想像もしなかった場所に立っているけれど、今、心の底から「幸せだ」と言えます。
それがこの5年間でいちばんの成果だと思う。
実は、昔は「天才にならなきゃいけない」と思っていたんです。
でも今は違う。
私は「狂った凡人」でいい。
いや、「最狂の凡人」でありたい。
子どもの頃からやっていた、「端っこにいる人を真ん中に連れてくる」ということ。
それを今、天プロで「天才を世に送り出す」という形で生きています。
あきこさんにとって天プロとは?

天プロは「自分を感じられる場所」。
自分を取り戻していく過程を、みんなで見守り合うコミュニティ。
関われば関わるほど居心地がよくなる、そんな不思議な場所だと思う。




