


片平 智晴(ともは)さん
9期から天プロに入る。
「クソおもんない」と言われたあの日、アートで生きる覚悟ができた画家・ともは。
主観を殺して傷ついた感性を、もう一度信じられるようになるまでの物語。
天プロに入る前と入った後の変化


1.
理屈では伸びる
でも、心が
ついてこなかった
僕はビジネスコンサルタントとして活動していました。クライアントの成果を上げることも、自分の事業を形にすることも、それなりにできていた。
でもどこかで「何かが違う」と感じていました。
もともと僕は、アートやデザインの世界に惹かれていて、東京藝大で学び、感性の深さには自信がありました。
けれど、そこでの関わりも主義主張がぶつかり合うような世界で、本当に話したいことが話せないまま、卒業してしまった感覚があったんです。
ビジネスを学びながらも、「自分の感性を仕事に生かしたい」という気持ちは消えずにありました。
公務員として働いていた時期もあったんですが、SNSでは顔も名前も出せず、制約のある生活。
発信するたびに、自分を装ってしまう。
そしていつの間にか、「自分の主観を殺すこと」に慣れてしまっていたんです。

1.
「クソおもんない」
と言われて、救われた

天プロに入って最初に言われたのは衝撃的な一言でした。
ある人に言われた 「お前の文章、クソおもんない」。
最初はショックでした。でも同時に「やっぱりか」とも思った。それはただの批判ではなく、「お前の面白さが死んでるよ」という愛情のあるフィードバックだった。
誰も本音で言ってくれなかったことを、真正面から言ってくれた。
その瞬間に、僕の中で何かがほどけたんです。
天プロでは、「虚偽」がすぐにバレます。
自分の人生を生きていないと、すぐに「ダウト〜!」と言われる。
その厳しさが僕には心地よかった。
長年、封じ込めていた感性が少しずつ息を吹き返していきました。
2.
何度諦めても、
アートが追いかけてくる

自分の主観を出せば、衝突は起きます。
僕もいくつかの人間関係の中でぶつかりました。
でも天プロの運営の人たちは、それを笑顔で見守ってくれる。
「いいじゃん、それ」と言いながらニヤニヤしている。普通なら責められて終わるところを、ここでは肯定される。
「衝突してもいい」と思えた瞬間に、ようやく自分の感性を全開にできるようになりました。
社会性を緩め、自分を出しても大丈夫だと知れたことは、僕にとって革命のような体験でした。
その後、「お金があったら何をやるか?」と問われて、真っ先に浮かんだのは「アート」でした。何度諦めても、僕の人生にはアートが追いかけてくる。だから、もう逃げないことにしたんです。
3.
画家として生きると
決めた日から、
世界は温かく開かれた

いまは、画家として活動しています。対話しながら似顔絵を描くセッションを行っていて、そこでは、僕の主観や感性を思いきり反映しています。
ときには、言葉にしたら喧嘩になるようなことも、 絵としてなら伝わる。
「人の心に土足で踏み込まないで」と言われるような領域でも、アートなら受け取ってもらえる…その体験は決定的でした。
アートこそ、僕が世界とつながるための言語なんだと実感しました。
そして、不思議と応援してくれる人が増えてきた。
この道を歩くと決めてから、世界が温かく開かれていく感覚があります。
4.
諦めたその夢は、
まだ終わっていないよ

天プロで一番良かったのは、
「やるべきことを思い出せたこと」です。
そして、世の中に溢れているノウハウの多くは、単に「自分に合っていなかった」だけだと知れたこと。
僕にとって天プロは、新しい実験の場所です。
まだ説明されていない、実証されていない領域をどんどん現実につなげてくれる場所。
もし今、
「やりたいことがあったけど傷ついて諦めた」
そんな人がいたら、僕は伝えたい。
それは才能がなかったからではなく、方法が違っていただけです。
もう一度、自分の主観を信じてみてください。
遠回りに見える道の先に、本当の「ど真ん中」が待っています。




