ちょっと前の話になるかもしれんけど、ビールのCMでたびたび耳にしてた「おつかれ生です」
これ、すげぇ嫌いなんですわ。
初めて聞いたとき、肌が粟立つぐらいの違和感を感じた。
竹内まりやさんの歌声をバックに、好感度が高そうな俳優さんたちが画面の向こうからこっちをまっすぐみつめながら心をこめた雰囲気で「おつかれ生です」って言ってくる。 こわっ。
ふつうに「おつかれ様です」って言われたい。
とまぁ、初手から嫌い嫌い言う取りますが、実は自分の「嫌い」を大きな声で言うのってちょっと苦手でして、少しだけ前置きさせてください。
まず、基本的には人が作ったものに対して、一定のリスペクトは持っているつもりです。 批判するのは簡単やけど、実際に自分がつくるのは想像の何倍も大変やからね。 CMつくるなんてホンマ大変やと思う。 リスペクト。
あとは、自分の「嫌い」が誰かの「好き」だったりもするわけで、むやみやたらと誰かを不快にさせたくないなという思いもある。
なので、だいたいの時は「嫌い」と思ったらだんまり、「好き」な時は勝手に言うみたいなスタンス。
このあたりの話はまた別でちゃんと書きたいなーって思ったけど、そんなこんなであんまり「嫌い」なことは言いたくないなって思ってるタイプ。 角立てたくない。
やけども、そういったことは棚上げMAXした上で「嫌い」を言ってみようと思う。
違和感の正体を掘り下げる
「おつかれ生です」に感じる違和感。
その正体は、いかにも「労い」を表現しようとしているように見える演出と、その言葉が感じさせる「浅さ」みたいなものが起こす不一致感なんちゃうかなと思ってる。
CM全体の雰囲気。
しんみりと心に響く雰囲気を狙ってるんかな? 知らんけどね。
大事な人に対しての労いだったり、大切な人と一緒の時間をともにする、あったかい幸せとか優しさみたいな空気感を表現したいんかなって感じた。
そんでもって、キャッチコピー。
言葉のつくり自体は「おつかれさま」と「生ビールの『生』」を組み合わせてる単純なダジャレ。 表現の巧みさみたいなものは一切感じないけど、それは一旦どうでもよい。
シンプルやし語感的には耳には入りやすい気もする。 記憶にも残る。
けど、それがホンマに表現したいであろう労いのメッセージとして成立しているかと言えば、自分の答えは“NO”。 むしろ「生ビールの『生』をはめ込みたかっただけ」みたいな浅はかさが目立ってしまってるように思えた。
大事な人を労ってますよーみたいな雰囲気の中、言葉そのものが浮ついててすごい気持ちが悪い。
さすがに製作者サイドも、言葉そのものの浅さみたいなものぐらいわかってるやろうと思う。 ただ、その浅さを理解した上で「あえてやってます」みたいな。 耳への入りがいいし、あわよくばこのフレーズを流行らせたい。 みたいな。 そういった裏側の意図を感じてしまってどうにも不快感に繋がってしまう。
ほんまは自分の利益につなげるための狙いとか欲があるのに、あたかも清廉潔白を装ってるようなウソくささ。そういったものを感じてしまうんですよ、あたし。
これに対して、同じくビールのCMで使われた「缶パカパーン!」というキャッチコピー。
この言葉も基本的には語感とダジャレから出来てて、深いメッセージ性を感じさせるわけじゃない。
ただ、語感が軽快なのが良い。
「パンパカパーン」っていうのはファンファーレの音で、戦いの後の祝福の音として機能してるように思った。 きっと仕事を戦い(ひと仕事)と見立ててるんやと思う。 バックミュージックはドラクエやしね。
その仕事という名の戦いが終わったあと、待ちきれんとばかりにフタをいきよいよく開ける映像とも一致感がある。
「缶パカ」という言葉で、缶の飲み口が全開になる機能性も表現してるんやろうなってのもわかる。
言葉だけを見るとシンプルなダジャレがベースやけど、そこにはちゃんと伝えたいイメージとの一致感があって筋が通っているように見えた。 余計な演出もない。 だからこそ、語感の軽快さが心地よかったし、自分は好意的に受け取れたんやと思う。
「おつかれ生です。」に足りないもの
これをきっかけに、自分が良いなと思えるキャッチコピーってどんなんやろ?って考えてみた。 コピーライターでもなんでもないから、正確性みたいなものは勘弁してくださいよ。
「背景や物語を想像させる力がある」
言葉を見たときに、その先にある情景や物語、セリフを言っている人の状況や背景などの、書かれていないはずの奥行きが思い浮かぶかどうか。
例えばやけど「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。」っていうゼクシィのコピー。
このコピーからは、現代の結婚観を背景にした上で、「それでもやっぱりあなたと一緒になりたい!」っていう特別な感情を想像させられる。 自分自身の恋愛とか結婚観を重ねて考えたりする人もいるかもしれん。
こんな感じで、書かれている言葉の外側にまで、何かしら背景とか物語を感じさせる言葉に対して、深さみたいなものを感じやすいのかな?と思った。
「伝えたいことがわかりやすい」
商品の特性とか、伝えたいであろうメッセージがわかりやすく表現できているのかどうかも大事そう。
それで言うと、さっきの「缶パカパーン!」は良い例だったと思う。
商品の特性をダジャレのキャッチーさを使って一言で伝えるあたりにも潔さも感じる。 言葉と商品の関係がクリアなほど、消費者は納得感を感じやすいとかもあるかもしれん。
これらの2つのバランスが上手くとれているキャッチコピーは人に響きやすいんじゃないかなって考えた。
奥行きがあっても、なに言いたいのかわかりにくかったらポエムになるし、わかりやすいけど奥行きがなければ浅はかに感じる。 ダジャレは覚えやすいし語感がよくなるかもしれんけど、ダサくなりそうやしね。 そのあたりのバランス感覚とかセンスが必要になるんでしょうね。
そうやって、改めて「おつかれ生です」を振り返ってみても、「生ビール」であること以外の深みが一切感じられないなーと思った。
言葉に感じてしまう「浅さ」に対して、いかにもメッセージ性がありそうな演出がさらにミスマッチ感を生んでる気がして、単なる言葉遊びに見える。
たんに「言いたいだけ」ちゃうんかと。
キャッチコピーってすげぇ!
ただ、そうやって考えてみると「キャッチコピー、すげぇ!」の念が生まれてしまった。
単純に短ければいいってワケでもないやろけど、消費者の耳とか記憶に残らんとアカンやろから、文章も長いより短い方が良い場合が多い気がする。 使える文字数が少なけば少ないほど、奥行きみたいなものを表現するのは難しくなるやろし、文字のリズム感とか、口に出した時の聞こえ方みたいなものも考慮する必要もあるかもしれへん。 その上で、その言葉で消費者の心に「引っかかり」を作って、さらには、商品の特徴とかメッセージも表してる必要がある。
言葉の芸術やん
こんなもん、もし自分やったらめちゃくちゃなもん作ってしまう自信がある。 そんな難しいことやってんのにごちゃごちゃ言うて申し訳ない。
次がんばってね。 おつかれ生です。

とっちらかしながら生きていくのだ




