たとえば、Zoomでのスクショ
オンラインイベントの最後に、みんなでポーズを決めて
「はい、チーズ」
記念撮影では笑顔で楽しく、みたいな暗黙のルール。
──あれが、どうにも苦手らしい。
暗黙のルールとか書いたけど、べつにそんなルールはねぇ。
自分で自分を勝手に不利な状況に責め立ててるだけです。はい。
でも、考えてしまうんだわ。
「楽しいはずでしょ?」「こういう時は笑うよね?」っていう
空気を読んで、まわりとポーズを合わせなきゃいけない感じ
ざわざわがとまんねぇ
そこに迎合できないことが
人としてどこかしら欠落している証明のように感じてしまう。
みんなは楽しそうな顔してんのに、自分はうまく笑えない。
笑えない自分は、楽しめてない。
そんなかんじで、自分責めがはじまる。
さらにはそれが
「写真」という物質として、残ってしまう。
「あ〜… 今日もあなた楽しめなかったんですね。これ証拠です」つって…
無理して笑おうとひきつる自分の表情を感じるたび
居心地が悪くて逃げ出したくなってる。
レンズの中の「見たくない自分」
でも、思い返せば、小学校のときは写真に写るのが楽しかった。
写真が苦手になったのは、ある程度大きくなってからのこと。
むしろ、自分からカメラの前に出ていくような子だった。
大人になるにつれて、うまくいかへん経験が重なって
知らず知らずのうちに自信が失われていってたんかもしれん。
「自信のない自分を、誰にも見られたくない」
そう思うようになってた。
調子が悪い時とか、太ってしまった自分なんて特にそう。
自分自身が期待している自分が、
現実とかけ離れている状態を見られたくない。
隠したい。
自分は「かっこいいじじい」になりたい。
目立たずとも、そこに立っているだけで絵になるような人。
考えが深くて品とユーモアを併せ持ってる。
好奇心を忘れない人間味のある味わい深いじじい。
そんな存在になりたいって、心から願ってる。
でも、現実の自信がない自分と、
理想のかっこいいじじいの姿が、かけ離れすぎてて
そのギャップを
「写真」というかたちで突きつけられ見せられるのが
怖いし、辛い。
「いい顔しなきゃ」に縛られてる
「別に笑わんくてもいいよ」「どんなんでも大丈夫ですー」
そう言わってくれたら、もしかしたらちょっとは気が楽になるかも。
いや、ならないかも?
悲しいけど、そのときはそのときで、
「じゃあ、どう写ればいいねん」
つって別の迷いで溺れそうになってる気もする。つらたん。
撮影 = いい顔(笑顔)
っていう思い込みが
自分のなかでしっかり根を張ってしまってる。
ま、撮影者も
「みんなが楽しそうな瞬間」を記録に残したいわけやから
いい顔を求めて撮影してるってのはあるよね。
ただ自分の場合は、それを過剰に受け取ってしまって
内側の感情と外側の表情が一致していない状態に苦しくなってしまう。
べつに、楽しくないわけでは、決してない。
ただ、その時間が、笑顔になるほどの内側の状態ではないというだけ。
やのに外側だけ、別感情の表情を求められると
ダメなんよねえぇぇ。
不器用、極まれり。
とはいえ、勝手に撮られてるのは大丈夫よ?
だがしかし、何かと周囲の空気を感じ取ってしまう自分は
カメラが向けられてることをわりと察知してしまう。
察知してしまったら最後
気づいてないフリはするものの、意識は完全にレンズを捉えてる。
詰んだ。
誰かに押しつけられたわけじゃないから
自分で自分にかけてしまってる呪いだわなー
あらためて、写真に写るのが苦手です。
でも、だからといって写らないのも、
ちょっと(けっこう)寂しい。
という、めんどくさすぎる男。
かっこ悪いかもしれんし、理想とずれてるかもしれんけど、
その時の自分の在り方を、そのまま肯定できるようになれたら
笑顔だろうが真顔だろうが、気にならへんのかもね。
「かっこいいじじい」への道はまだまだ長いです。

とっちらかしながら生きていくのだ




