追記 2024年7月28日

この文章は、2021年2月から5月にかけて参加していた「天プロ」(注釈1)というプログラムの2期に参加しての気づきをまとめ「卒業論文」とし提出したものです。
3年が経った今もう一度読み返してみると、このときなんとなく掴んだことの解像度が随分と上がった気がします。
この卒業論文を書いてからの道のりは、自分の仮説を一つ一つ検証して「もう一人の自分」を明らかにしてきた3年間だったんだろうなぁ、とも感じています。

この卒業論文、当時はコミュニティの中だけでのシェアにとどめていたんだけれど、今、なんとなく公開してもいいかもと思えたので「公開」してみました。

※当時2期だった天プロも、今は8期を迎えています。2期と比べると現在のテンプロは随分様子は変わっているようです。でも、当時のエッセンスは受け継がれていると思うので「天プロ」が気になる方はこちらをご参照ください。


はじめに―メディア・およびメディウムについてー

「メディウム」と聞くと、絵を描く人はアクリル絵の具に混ぜて使うメディウムを思い出すらしい。メディウムの種類によって、透明感や質感、硬さなどを調節できるので、同じ顔料でも使うメディウムによって表現は全く違ってくる。

もしかしたらそれは、同じ人でも所属するコミュニティや生活環境によって考え方や行動が全く違うものになる、ということに似ているかもしれない。

そもそも私がメディウムなるものを意識したのは、福岡伸一さんの『動的平衡2』を読んでからだった。
メディウムについて、こう書いてある。

メディアと言えば新聞やテレビのことを意味するが、生物学の世界では、メディア(単数形はメディウム)とは、シャーレの中で育つ培養細胞を浸す栄養液のことを指す。細胞は、体温と同じ37℃に保温された、あたたかいメディウムの中ですくすくと育つ。

細胞たちはおそらく自分を取り囲む、この媒体(メディア)の存在を自覚してはいない。ちょうど水の中に棲む魚がみずという媒体の存在を知らないように。あるいは、私たちが空気や重力や温度といった媒体の存在を気にしないように。

伊藤若冲の鮎はまるで空中を飛行しているかのようだ。水という媒体の存在をまったく感じさせない。たぶん鮎にとって水という環境はそのようなものなのだ。

しかし、メディアは、生命と常に接し、生命活動を支えている。それが科学反応を引き起こし、生命という平衡を保つ。つまりメディアとは、何かをためこんだアーカイブではなく、動的な流れとしてある。若冲の鮎が生き生きと自在に泳ぐのもそれゆえである。

福岡伸一 動的平衡2

メディウムのなかで、それを構成する要素の消長・交換・変化が絶え間なく繰り返される。
動的な美はその中に見出される。

福岡伸一 動的平衡2

在るものを無いようにする防御反応

小学生の頃、私の兄はいじめられっ子で、よく友達からからかわれたり物を取られたり、ちょっとした暴力みたいなものもあった。
そして、ほぼ年子の妹である私にもそのとばっちりは容赦なくやってきた。

とにかく月謝が安いという理由もあり、地域のほとんどの子が通っていた寺子屋のような塾(山田塾といった)に、兄と通っていたときのこと。
古い日本家屋の広い畳部屋に長机が並んでいて、子どもたちは座って作文や計算のプリントをする。終わったら各自で正面に座っている河野先生のところに持って行き、赤鉛筆で丸を付けてもらうシステム(河野先生は山田先生の娘さん)。
河野先生は、いつもわたしの作文を褒めてくれた。

その日も、いつもの通りサクッとプリントを終わらせて丸をもらい、踵を返して自分の席に戻ろうとした時の事だった。

兄の同級生の一人が、明らかに不自然に通路に足を出している。席に戻る途中の私に蹴躓かせて転ばせるためだということはすぐにわかった。
「本当に、いつもいつもくだらないいたずらを仕掛けてくるもんだ…」
気付かないふりをして歩き、出された足のところまでくるとわざと大きく跨いで、平然と席に座った。

「転んでたまるか。転ばされてたまるか。こんな子たちのせいで、傷つきたくない。転ばされて泣くような、可愛い女の子になんか絶対ならない。」

憤りを抑えて懸命に平静を装い、鼻の奥がツンとして涙が滲みそうになった悔しさには、気づかなかったふりをした。
反応せずに彼らに肩透かしをくらわせれば自分を守れると信じて、母親にも誰にも打ち明けることはしなかった。

ある日「潤子ちゃんは本当にしっかりしてるし、何があっても毅然としているって、河野先生が話してたよ。」そう母から聞いた。
いじめっ子たちの素行は河野先生も知るところだったようで、平気なフリがバレていないことにホッとしたけれど、本当は少しだけ寂しかった。

こんなことが日常茶飯事だったこともあり当時の私は自分のことを「ぼく」と言っていた。女の子らしく「わたし」と言うことは、こっぱずかしくてできなかった。「生まれ変わったら男の子になりたい」と口にしたり、下ネタワードをわざと口にし、下品な男の子みたいな自分でいることを選んだ。そのせいで「男女」と呼ばれたこともある。

当時の自分は子どもなりに必死だったのだろうな。
見た目も性格も可愛らしい妹や、ちょっとしたことですぐに泣いてしまう親友の佳子ちゃん、彼女たちの女の子らしさに強烈に憧れながら、自分がそうなることは絶対に許せなかった。可愛い女の子になることは、弱くて脆くて傷つきやすい自分になることだったから。

女の子らしさを抑え、男の子らしさを誇張した。
在るものを無いようにし、無いものを在るようにすることで、精一杯の防御を固めた。

だけど、今でも覚えている当時の一番気に入りの洋服は、オレンジと黒のギンガムチェックにお花のアップリケのついたミニワンピースだった。

それは奄美で、突然やってきた。

天プロ合宿で訪れた奄美大島で、思いがけず自分の裸を写真に撮ってもらうことになった。

おおよそ自分の人生に起こるはずの無い出来事だったけど、撮ろうと思ったきっかけは「ヌード撮影は外見に対する究極の自己承認」という、ゆっこちゃんの一言が引っかかったから。
既にゆっこちゃんの「言葉」に絶大な信頼を置いていた私の感は、やはり大当たりすることになる。

奄美からの帰りの飛行機の中で、ヌード撮影を振り返っていたら、なぜか子どもの頃の山田塾での出来事が思い出された。
同時に、過去に経験した衝撃と嫌悪、恐怖を感じたいくつかの出来事も。

「大したことじゃない」と自分の中で始末をつけて、記憶の奥にしまいこんでいたはずなのに。

でも、そんな記憶をすっぽりと包み込んでしまうくらい、美しかったのだ、
原生林の中で見たゆっこちゃんやちかちゃんの姿が。
何も否定しようがないくらい、本物の美しさに包まれていた。

自分の姿は、自分であって自分では無いように思えた。

「残念だ」と思っているしぼんだ胸や浮き出たあばら骨、たるんだ顔は事実としてそこに写っていたけれど、それらも含めて
「あれ、美しいのかもしれない…」
率直に、そう感じた。

以前は、形態が整っていることや色の鮮やかさだったり華やかさが美しさの指標だと思ってたけど、美しさに指標なんて無かった。
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顔の造作が整ってるとか、若くて肌に張りがあるとか、スタイルが良いとかじゃなく、その人がその人であることそのものに美しさがある。
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指標が無いから、比較もできない。
美しさを測るものは、主観でしかない。

判断基準を「客観」に置くことを常とし、自分の外見に対しても当たり前のように客観的な指標を取り入れがちだった私に、奄美の自然と自分自身の身体が教えてくれた。

私の美しさは、誰とも比較する必要が無い私だけのもの。
自分が受け止めてあげないで一体誰が受け止めてくれるだろう?


どうしようもなく憧れながら、自分を守るために排除してきた「女の子らしさ」あるいは「女性性」のようなものを、そろそろ受け取っても良いのかもしれない。

ふとそう思えて、飛行機の中で涙がこぼれた。

突然やってきた、自己承認。
そこにはロジックも何もなくて、ただただ受け入れるだけだった。

もしかしたら、動的平衡で指摘されている「動的な美」についての記述がヒントになるかもしれない。

人間もまた生物として独自の知覚と行動によって自らの「環世界」を作り出している。客観的な世界などない。絶え間なく移ろう世界を、激しく動く視線で切り取って、再構成したものが私たちの世界である。私たちは自ら見たいものを見ているのだ。

福岡伸一 動的平衡2

強みからこぼれ落ちたものたち

天プロ2期では密かに、メンバーの変化を観察していた。自分にとっての最初の印象と、そこからの印象が変化する瞬間に、できるだけ注意を払いながら。

何がきっかけとなったのか?その人を「すごく良いな、好きだな。」と思えるのは、どんな時なのか?

プロデューサーの視点を養うには、最初の印象からの変化に気づくことが「とても大切」と、やまけんさんから教わったから。

天プロには、異質性の高いぶっ飛んだ人や、強みを活かしまくっている強みお化けみたいな人たちもいっぱいて、それらはもう溢れんばかりに出てくる。とはいえ、初見でその人の表面的でない「本当の魅力」を見抜くことは、私にはまだ難しい。

だから、どちらかというと「違和感」を大切にしてみることにした。
「どうしてこの人は、こういう考え方をするんだろう?どうやってこの考え方に至ったんだろう?」

ともすれば、表面的な言葉に反応しそうになるのをグッと抑える。グループチャットでも、同じ。「何を言うべきか?」ではなくて「何を言わずにいるべきか?」を考える。1期では意識できなかったことが、少しずつできるようになってきた。

ただ、「あっ、いいな。」「この人のココ、好きだな。」という感覚は、なかなか掴めない。みんないろんな才能を持ってて、凄い人ばかりなのにな…と思っていたら、その瞬間は意外なところで現れた。

グルコンをオブザーブしているとき、グループチャットのメッセージ、合宿で直接会ってお話してとき、唐突に目に入ってきたのは、

・めちゃくちゃビジネス戦闘力が高くて何事もそつなくこなす人が、ずっと抱えていた心の奥底にある「願望」に気づいたときの、狐につままれたような顔。

・責任感と人に貢献したい気持ちが強く、常に「誰かのため」にビジネスを組み立てることを考えていた人が、本当に自分がやってみたかったことに気が付いてフッと力の抜けた表情。

思い返してみたら、1期の時だってそうだった。

・人に気を遣うことにとても長けていて場を回すことも上手な人が、1対1で初めて対面した時にふと見せた緊張や戸惑い。

それを目の当たりにしたとき、キュっと心が掴まれて、グッとその人との距離が近くなる。

おそらくそれらは、顕在化している「強み」とは対極にあるもの。

本人が気づいていることもあるし、気づいていないかもしれない「弱さ」だったり「脆さ」だったり、無意識のうちに頑張って隠してきた、心の奥底にある「傷」のようなもの。

私がその人を好きになる瞬間はいつも、彼や彼女の真正面にどどんと鎮座して「強み」と呼ばれる強固な格子の隙間からこぼれ落ちた、やわらかで繊細で、そっと触れてみたくなる「何か」が見えたときだった。


「もう一人の自分」の存在

本来在るものを無いようにすることは、気持ちを整えることが得意な私のような人には割と簡単で、幼少期から自然とできてしまうことだった。

だけど、そうして「無い」ことにしてしまったもの中にこそ、その人の本当の魅力が隠されているのかもしれない。

女性性と男性性
強さと弱さ
論理と直感
結果とプロセス
自覚と無自覚

これらはいつだって表出と消滅を繰り返しているのに、私たちは自分に都合の良いものしか見ない。
都合が悪いものは、自分が傷つく恐れがあるから。

だけど天プロに入って安心安全の土台を確保したことで、次第に両方の存在を感じ、受け入れられるようになっていったように思う。

天プロは、そういうメディアなのかもしれない。

仕事をうまくいかせるために結果思考で行動できる自分も、結果評価を考えずに今目の前にある探究心を満たせる自分も、どちらも在る。

ロジックに沿って骨組みを立て、守りを固める男性性も、柔らかく相手に合わせて受け入れることができる女性性も、どちらも在る。

今目の前に見えている自分も、未知の可能性を秘めた自分も、どちらも在る。

「どちらも在るし、どちらも選べる」
「どちらのスイッチを入れるかは、自分のコントロール次第」

自由というのは、「どちらでもいいと思えること」なんだ…。

そう思えるようになったら「欲求」みたいなものが無くなり、自分がどんどん身軽になっていく感覚があった。

何者でも無い自分が、この上なく心地よいと感じた。

無欲の人というのは、したいことが何も無い人ではない。
「やろうと思えば何でもできる」心からそう信じられる、可能性や希望を抱ける人。

まだ見ぬもう1人の自分の存在を、常に信じられる人。

これから私がやっていくことはもしかしたら、「その可能性に気づいてすらいない誰かに、もう一人の自分の存在を伝ええること。」なのかもしれない。

メディアを作ることなのか?あるいはその感覚を伝えることなのか?
方法はまだわからないけれど。

最後に【仮説】

自分で無いと認識しているものほど。本当はあるのかもしれない。
という仮説が立っている。

だとしたら、私は1期の時からずーっと「人に興味が無い」と言い続けていたけれど、実は本当はめちゃくちゃ人に興味があるんじゃないか?

確かに、街中で人間ウォッチングとかは一度もやったことが無くて見知らぬ他人に興味が無いことは間違い無いのだけど、一旦親しくなるととてもその人のことが気にかかる。

浅い付き合いはわりとうまくスルーするし、他人にどう思われるか?を考えずに行動できるタイプ。親しくない人とは、話をしなくても平気。

だけど、天プロで出会った人のことはいとも簡単に大好きになってしまう。

その人に頼ろうとか一切思わないけど、その人が一文無しになっても一緒に居たいし、何かあったら助けてあげたいと思える人がいる。

だとしたら…

意外と「母性」とかあるのかもしれない。
意外としっかり「保護者気質」があるのかもしれない。
意外と対人支援業なんかもできちゃうかもしれない。
天プロ以外でも、価値観を通して深く繋がれるコミュニティを、自分で作ることができるのかもしれない。

まだ見ぬ「もうひとりの自分」の気配を、私はまたこうしてメディウムの中に感じている。


天プロ1期の卒論はこちら


この卒論を書いたことそのものがセルフセッションだったなと今は思います。


じゅんP

メーカー勤務を経て、医学や身体への興味から大学に再入学。卒業後は10年間細胞診断業務に携わる。現在はヒューマンデザインのリーディングや、感性に寄り添うセッションを行う。また記憶や感性を呼び覚ますオーダーメードアートも制作する。

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