幼い時からずっと抱えている憤り。何に憤りを感じているのかやっとわかった日。
やばい、おれ。宇宙人だったかもしんない。まずは叫びを地球に響かせたい!
人間は本来一人一人自由であっていいじゃん!
なのになぜ従わせようとするの!?
ォホォワイジャパニーズピーポオオォオオーーーーーー!!!!
はるか昔から感じてた違和感にようやく気づいた。厚切りジェイソンの鼓動と共に。
目次
- 自分は自分じゃダメなの?なんでみんなと同じにしようとするの?どちてどちて?
- 家庭環境的な話をしよう。ちょっと特殊なんだゾ?
- 幼少期から社会人。そしてねばべき人間へ。
- それでも無意識に「同じ」を拒否してきた。
- 予定調和が嫌いな君たちはどう生きるべきか?
- まとめ:突拍子もないこと言うと、目指す世界はもしかしたらな話。
自分は自分じゃダメなの?なんでみんなと同じにしようとするの?どちてどちて?
私の記憶が確かならば。ずっと昔から持っている性質。「なんでみんなと同じじゃないとダメなの?」にやっと気づけたんですよ。ネーサンのおかげで。
↑ネーサン。
みんなと同じ事をするとワクワク感や興味を持てないし、やらされるとなると表情に出るくらいイラッとしたり気持ち悪くなっていた事に気づいちゃいました。
時に天邪鬼やひねくれ者とも言われたりしてきたし、変わり者と呼ばれたりする事も多くあった。全然構わないしむしろ褒め言葉に受け取ってきた。今までの通算をカウントしたら何度変わってるねと言われてきた事か。
あんま自覚はないけどな!
でもある時から、「変わってる」って言われるのが苦手になった時期があった。なぜなんだろうか?思い出していきたい。
ぼく自身変わってる人が好きだ。
天才。破天荒。変態。色々ジャンルはあれど人から理解されない人の方が好きだ。単純に面白いなーと思うのはもちろんそうだし、ちゃんと自分を生きててウソがないからなのかもしれない。
枠の中にハマらないアイツは輝いてたのに、世間の荒波にもまれて皆と同じになろうとしてる(人になろうとしてる)のを見て実にもったいないと感じた夜もある。少しくらいはみ出したっていいさ。なあ!!夢を描こうOh〜
家庭環境的な話をしよう。ちょっと特殊なんだゾ?
(どういうシーンで言ってたかまでは覚えてないが)あの人は子供がいなくてかわいそうとか、独身でかわいそう。などと母や姉が言ってたりする度に、「勝手にてめーのものさしで決めつけんなや、自分の尺度でモノを考えんなや」と思っていたものだ。
世間一般と同じであれ。と思う両親が、ぼくに結婚しろだとかいう気持ちもわからないじゃない。子を持つ親としては正しいのかもしれない。
ただ型にハメようとしてくんなや。みたいに思う気持ちのがどうしても強くなるのです。
生まれた家が少々特殊な環境でね、宗教やる家なんですわ。しかもまあまあお偉いさん。
世間体を気にする人達でしてね。ウチは手本にならないといけない。とかっつって。ウチの家の子がやらないのは示しがつかん。みたいな理由でよくもまあ呪いをふりまいてくれたもんだ。よく考えたら4代まで渡ってるわ。
3歳の時から18歳くらい?になるまでずっとやりたくもないものを強要され続けて、すごく気持ち悪かった。兄や姉も嫌がってはいるものの、でもちゃんとこなす所にウソでしょ?なんて思ったりもしたもんだ。
自分にはムリだったので集まりに参加させられては抜け出していた。抜け出せない時はめちゃくちゃ態度悪かった。そして世間体を気にする両親に後で怒られるのだ。
「なんでみんなと同じに出来ないの!?」だの「恥ずかしい」だの。
やりたくても出来ないんです。無理なんです。気持ち悪いんです。クソが。
幼少期から社会人。そしてねばべき人間へ。
幼稚園の時からみんなが外で遊んでても、一人でブロックで遊んだりしてる様な子でして。みんなと遊ぶのに興味をもてなくて。
小学生時代はおとなしかった。おとなしいのにもちゃんと理由があってね。
人と同じがムリで誰かにわかってもらいたかったけど、誰にもわかってもらえないあきらめ。絶望的に説明が下手クソだったのもあるけど、あきらめだよね。
「なんで20分休みにみんなと外で遊ばなくちゃいけないの?」と思っていたが、仲間外れになる怖さもあるから(少々の社会性も身につけた)仕方なく外で遊ぶ。みたいな感じで過ごしておりました。
前述した様にみんなでコレをやりましょうという空気感も大嫌い。やらされる空気がマジで無理なんです。例えば授業参観はみんな手を上げましょう。わかる人は右手を、わからない人は左手を上げましょう。本当にやめてよ。ってなる。
合唱とかも地獄の時間よ。からそもそも合わせなかった。
幸いにも中学生以降は、自分の出し方をちょっとずつわかってきて割と型にハマらず生きていく事が出来て楽しかった。
特に専門学校ともなれば校則や守るべきルールなども緩和されて、自分が思う様に過ごす事ができて本当に楽しかった。先生にも目をつけられたりしたけども。でも嫌な関係じゃなく楽しい時間だった。
だがいつまでも続かない。社会に出ればみんなと同じとか協調性など求められることがどんどん増えてくるわけです。いわば社会人としての振る舞いよね。出来ないと毎日怒られるし。怒れられるの嫌だし。
本当は協調性なくわがままに振る舞いたいのに、怒られるとか嫌われると思って出来ない。怒られない様にするためにどうなるかっていうと。
自分の中での最悪の病である「ねばならない、こうすべき」ねばべき病が発症するんですね。
気がつけばすっかりねばべき思考に支配されて本来の自分って何だっけ??ってすっかり見失う状態に。
ねばべきを発揮すれば怒られなくはなる。いつだかふと「オトナになるってこういうことか?なんだかつまらない奴になっちまった…」思いも感じた事もあった。
「怒られないために、社会で生きていく上で正しい事なんだ」
自分が段々と形成されていくわけですわ。それがまた息苦しくて。
でもみんなと一緒でないと怒られる。ねばべき人間になってしまった瞬間だった。
それでも無意識に「同じ」を拒否してきた。
ワーホリ行ったのも「同じ」を拒否した結果だったのかもな。
1人1人が個性を発揮できる美容師を選んだのはある意味よかったのかもしれない。接客も自由だし。売上を上げる型みたいなのもあるけど、基本は各々に任せるというスタンスである。飽きないで続けていられる理由の一つでもあるだろう。
美容師さんがブログを書くのが流行った時期があって「自分にも書けそうだなー」と思って、ブログを書き始めた事もあった。多くの美容師さんは集客を見込んで書いているブログなのだが、しゃらくせえ!ってなり自分は徒然なるままに書いた。集客に面白味を感じなくてね。
文を書くのは嫌いじゃない事に気づけたのはよかった。副業になればいいなーと淡い期待をしてアフィリエイトブログのノウハウも買ったりウェブライターのノウハウなんかも買ったりした。これをすれば成功します的なやつね。
読まれる文章を書きたい気持ちは確かにあったし稼ぎたい欲もあったので少し勉強する。
一般的に読みやすいとされる結論から書き出すPREP法。見出しは3つにする。序文での引き込み方。まとめで要点を書きCTAを置く。ちゃんと書いてある通りにやったら、個性が死んだ文章が出来上がった。なんだこれ、ちっとも面白くないじゃないか。つまらない!気持ちが全くアガらないのだ。
そうか、自分にはブログは合わないだけだったんだ、はい次!!
行き着いた先は全国展開する美容室を経営するオーナーさんのオンラインサロン。自分が美容師というのもあってFCに加盟するのはどんな感じなんだろう??
単純な興味やそこに集うゴリゴリのビジネス戦闘力高い人たちにも関心があった。
「FCはマニュアルで管理しています。マニュアルで動かず自分の意思を出したい人はFCをお断りします」するスタイルだそうで。あ、絶対ムリじゃんコレ。って一瞬でなった。
その方の作った美容室のビジネスモデルは本当に美しく芸術とまで思ったし、ものすごい徹底されたものだったのは間違いない。からこそ、自分の意思を出す異物は排除しないといけないっていうのもすごくわかる。どう考えてもビジネスで結果出そうと思ったら、自分の意見よりその人の方がちゃんと理論立ってるもんよ。そらそうや。
ここも違う、はい次!!
そうだ、SNSでも攻略してみっかな。インスタでもやってみるか。発信のノウハウでも買ったろか。よっしゃやったろ。
ところがどう頑張っても投稿が人と同じにみえてしまって面白味を感じなくなってしまったのと、毎日やる苦痛もあってすぐに断念してしまった。(TikTokには面白味を感じたけど動画の作成がめんどくさくなりやめた)
ここでいうノウハウやマニュアルは世間一般で見れば正しいとされる常識なんだけど、そもそもさ?って話になってしまうんですわ。
売れる常識に合わせないといけない苦しみ。自分の個性を大事にしたいのに出来ないつまらなさ。合わせる事ができなくておれは何やってもダメなんじゃないか。と自己肯定感も同時に下げる芸風。
でもみんなと一緒だなんてつまんねーんだよ!面白くねーんだよちっとも!!自分が生きている気がしねーんだよ!
自分の魂の叫びを優先した結果、ノウハウコレクターになっちゃったんだけどな。やむなし致し方なし。チーン。
予定調和が嫌いな君たちはどう生きるべきか?
全くもって生きづらい世の中である。だからこそ
自分がどういう時に喜びを感じるかを整理してみた。大きく分けて2つ。
- いつもと何かが違う。
- 誰かに合わせず自分の意思で違う事ができている。
という仮説。
前々から予定調和が嫌いだった。なぜなんだろうと考えた時に予定調和ってのはいつもと同じって事だからな。トラブルとかハプニングがあった方がワクワクしちゃうんだよ。
いまだに雪積もると少し嬉しいのだ。日常に少しの想定外が入るだけで楽しそうだと感じるのがまず一つね。
より重要なのは「誰かに合わせず自分の意思で違う事が出来ている時」だと思っている。
自分の中で無敵感という言葉で表す事が多いんだけど、前にならえ!右向け右!な生き方では得られない栄養分なんだよな。
時は遡り、2003年。
専門学校2年の時に1年生を迎える会をした時。企画構成を自分が考えて作った会があった。
考えた企画の中で自分が1人芝居するムチャもした。自ら地獄に行く様な事をよくもやったもんだ。でもやり切った感覚もあり自分が確かに生きていた感覚があった。ムチャしやがって!
でもね、ねばべきを発揮する余地なんて全然なかったさ。120%で出来ていた。だからこそ思う。
自分がワクワクして楽しくいられるのは、オトナになり身につけてしまったねばべきを排除した先の世界に行く事。
ねばべき人間の皮を剥ぎ取って、自分の気持ちそのままで生きる事が嘘偽りない自分らしさ。胸の高鳴りや心臓の鼓動に素直に従うことでもある。
話は最初に戻るけど、「変わってる」って言われるのが苦手になった時期はオトナになってねばべき人間の皮をかぶっていた時からだな。
人間のフリをしているのだからちゃんと人間として扱ってもらいたかったのかもしれない。そんなのはつまらないからもういらん。
もっと自由でいいし、みんなと同じじゃなくていい。誰かに合わせず自分の意思で違う事をする。だったら「変わってる」ことの方が正常だ。
変わってるはやっぱり自分にとっては褒め言葉として受け止めてよいのだ。むしろ今後はより満たしていきたいとすら思ってる。誇りを持って。
アイムプラウド!の意味がちょっとわかったよ、カハラネキ!(コムロニキかもしんないけど)で、だれが1996年の歌のことわかんねん!
まとめ:突拍子もないこと言うと、目指す世界はもしかしたらな話。
まずは要点をまとめたい。
- ねばべき人間からの脱却。
- 変わってる。を受け入れて満たす。
- 誰かに合わせず自分の意思で生きればワクワクする。
自分の本当にやりたいことを考えた時に。
「自分に気持ちに嘘をつかずに自分も周りもワクワクする&させる様な刺激的な生き方をする」なんじゃないのか?と思ったことがあって。
今までの話からしても大枠は外してないと思う。で付け加えるならもう一個だね。
ズバリ、ネバーランドを作る事なんじゃないのか??深夜のテンションで書いてるから翌朝見たら恥ずかしくなるやつかもしれんけど。
みんな同じでなくちゃいけない世界からの解放。1人1人自由でよくて誰にも縛られない世界が少なくとも自分には必要だ。自分が生きる世界を作るためにネバーランドの建国を約束したい。略してネバ約。約ネバではない。
大事だからもう一度言うけど、ネバーランドの約束ね。はい。
で。今調べたらネバーランドは子供が子供のままでいられる国だから、意味合いがいきなり違うじゃないか!だからまほランドでいいか。まほシーでもいいけど。まほピューロランド。
呼び方はなんでもいいけど、自分が自分らしく振る舞える心の在り方や拠り所。みんな違ってみんないい。という割に人と同じを求めるタコスケからの解放を目指したい。なんか今そんな気分。世界を「変わってる」で満たしていきたい。
最後にこのnoteを書くきっかけになった記事をもう一度紹介したい。
そして世話になってるネーサンの紹介ももう一度。
https://note.com/hoshinamika/n/n09eafc5e03c2
自分の抱える生きづらさを「砂漠アプリ」と名付けて新しく「地球は遊び場アプリ」入れましょうって言うんだぜ?
最初何のこと?ってなってたんだけどさ。ここにぶちまけた事が自分の抱える砂漠だし、地球は遊び場っていう感覚も今ならわかるようになってきてるんだよ。
すごいよね。いつも本当にありがとう。
最後まで読んでくれてありがとうございました!!またね!

健やかなる時も病める時も吼える人




