最近、美容師の仕事しててドエレー褒められて歯が浮くかと思った事をシェアしたい。
新規の人でカットもカラーもとても気に入ってもらえた。その時に言われたセリフ。
「私、美容室どこにしていいかわかってなくて。毎回変えて今まで100件くらい回ってるかもしれないんですけど。だからわかるんですけど今までで1番うまいです」
1位/100位にしてもらえるほど気に入ってもらえるとは思ってなくて、自分自身ではこうすればこうなる。みたいな長年の経験でやっただけと思ったんだけど。(やったぜ!って素直に喜び、頂いた言葉はちゃんとありがたく受け取れたよ!)
なんでそんな出来るんですか?みたいな事を聞かれて、長年の経験ちゃいますかねー。と答えるしかなかった所で、振り返りたい。
美容師をやる裏側の不安。
わたし美容師道20年越えで、気がつけばベテランと呼んでいい域に達している。でも性格的には美容師にはまるで向かないなー。なんて常々感じてる。
もっとエゴイストタイプ(根拠のない自信でおれに任せて下さい!とか言える感じ)で顔色伺わないタイプだったら気苦労ももっと少なかったんだろうなー。というのが大きな理由だ。
怒られるのが怖いから技術も接客も思いきった事はできないし、無難なところに着地しがち。
単価アップの提案も商品の提案するのも、不快にさせたら…と思うと、どうにもニガテでもある。
怒ったらどうしよう?気に入らなかったらどうしよう?不快にさせてたらどうしよう?などと、いつも不安と緊張が渦巻いている状態だ。
お帰りになられた後も大丈夫だっただろうか?本当に気に入っていたんだろうか?と休まる時がない。(そんな不安祭りは今も開催はしている。)
昔は技術もないのにアドリブでよくやっていたよなと感心する。本当に。
だからだろうか?自信なさそうにしている。とは色んな人に言われていた。
「当たり前じゃぞ!あほう!こちとら胸の内で不安祭りしとるんじゃ」
こういうのがあなたにはイイです!と言い切る強さも全然なければ、出来上がったスタイルも鏡を見せながら顔色伺う様にして「どうでしょうか〜?」てな具合である。
他にも例で言うと「こういうスタイル似合うと思いますか?」とかいう質問があったとする。ある程度関係性が出来ている間柄であれば、見えてくるものや感じるものもあるかもしれない。
新規の人に言われた時が一番どうしていいかわからない。プロだから何かしら答えを出さなければならない。とかいう強迫観念にかられて答えを出そうとするけど、大体無難な解答を出すか濁しにいくのがお定まりだった。
「長いのもいいと思うけど、短いのもいいと思います」って、結局どっちだよ!ってツッコミ入れたくなる様な、お茶濁し芸を無意識で使う事がほとんどだったのではないか。
「わからない」って長年言うことができなかったんだよな。「正直まだわかりかねるのでもう少しお話させて下さい」とかいうだけでよかったんじゃね?って今は思う。
プロかどうかは関係なく、わからんものはわからん。大事なのは寄り添う姿勢があるかないか、だろうな。
プロとか完璧とかを求めて苦しんでいた。
お金をもらう以上、プロだから。って謎のプロ意識がかなり強かったのかもしれない。お金をいただくのはプロだからだし、プロってのは100%完璧でなくてはならない。みたいな思い込みが強かったんじゃね?ってのは、なんかようやく思えてきた。
怒られるのが嫌だから完璧にやらなくては。なのか、完璧にやらなくては怒られる。だったらどっちだったんだろう?これはわからないので一度置いておこう。
とにかく自分に自信が持てない20代の美容師生活だし30代だし、なんなら今でもそうだ。
自信が持てないのは技術が下手だからだ!技術を磨けば自信がつくはずだ!と考えて、積極的に技術を学びに行ったりもした。
最新の技術を学ぶのも大事な事ではあるけど、根本的な事がズレてるのに気がつかなったし見ようとしてなかったよなぁ。なんてふと思った。
そりゃ上手いに越した事はないが、単純に技術が上手きゃいいってもんでもない。
『技術は手段。目的は目の前の人をハッピーにする事』なのに、当時の自分は完全に手段と目的が逆だった様に思う。
逆だったけど、おかげさまで眼も養われた。
こう切ったらこうなる。とかココに変な重さがある時、こう切れば馴染むとか、色々わかる様にはなった。
ここなんか変じゃないですか?の悩みを言葉で説明できるし、直せる美容師にはなれたという事だ。「良く」も「悪く」も。
単純に観察の能力が上がった事は喜ぶべき事と思う。悪い方で言えば変に謎のプロ意識も高まってより自分を追い詰める結果にいったのではないだろうか。
事実、中途半端な仕事してるヤツを許せなくて全然できてねえ!って言った事が今までで2回ある。
カットラインを見れば前回切った人の仕事ぶりがわかるのだ。
ラインはガタガタ。左右も長さちがう。とかそんなこと。自分の仕事ではありえない事をされると怒りが出てくる自分もいる。
全然出来てないのに技術を学ぶ姿勢がないから、イラッとしてるのもある。(なまじ自分が技術を学びにいったりしてる分、余計そうなのかも)
自分自身ある程度こだわりを持ってやってたんだなー、とか、自分もめんどくさいヤツやなー。なんて思ったものだ。笑
というか予想以上にプロ意識が強かったんだなーってのが伺えるエピソードだ。
プロ=完璧。完璧=100点。
つまり100点を叩き出さなくては裏で不安祭りが開催されている状況なんですよ。自己採点ではなく相手の反応を見て(顔色を伺って)ジャッジしてる状態だ。
(顔色を伺って)怒ったらどうしよう?気に入らなかったらどうしよう?不快にさせてたらどうしよう?お帰りになった後も大丈夫だっただろうか?本当に気に入っていたんだろうか?
おとなしい人や反応が薄い人だと、本当にわからなくてより不安が増す。
「え、なんか全然笑わないけど大丈夫?」
「全く何考えてるか読み取れないんだけど」
反応良い人でも、ちょっとカラーの色入り過ぎちゃった!とか、思ったよりも色入らなかった!とかもだいぶキツい。
胸の内は不安でドンドコドンドコアラートが鳴っている状態で、無駄にギアを上げていくのが自分でもわかってつらい。自分でテンション上げて乗り切ろうとするあの感じ。無理しかしてない。
緊張を緩和させようとすればするほど、コッチの息があがりそうだ。ちょっとミスしていようもんなら、最後髪を乾かしてる時間がまるで死刑台に歩いてくかの様な緊張感に感じられる。
というか完璧でないと認められない症候群の自分は、自分で自分の仕事のアラを探して自分で不安祭りを開催していると言ってもいいかもしれない。
そうして顔色を伺いにいってセーフそうならホッとするし、表情みてもわかんなかったらギアを上げて乗り切る。
その後は自分責めを始める所までがルーティンになっていた。あまりにも負のルーティン。
(人の助けを借りて自分責めはしなくなってるけど)
苦しくなりたかったのか、なんだったんだろうな。
もうええでしょう?と思ってきた。
書いてて思うけど、本当になんて生きづらい事をしていたんだろうな。
そしてなんでこの仕事を続けているんだろうな。
チャッピーの野郎には、「誠実」であると太鼓判を押されている。

とかそういうことを壁打ちしてみたよ
昔から自分が担当しているお客さんがいなければとっくに辞めていたと思う。今自分がやっているお客さんを自分が嫌になっちゃったーっつって、突然ズバッとご卒業させるのを不誠実だと感じているのかもしれない。
無意識に完璧でありたい。と思っているし、誠実でありたいと思っている。
極端に言えば100点でなければプロとしては不誠実だ。とか思ってたのかもしれない。
こうして文字にすると少し客観的に見れていいね。その上でマジで思う。
そりゃ美容師つらいしやりたくもねえわな。労いの言葉もかけてやりたいぜ。
やっとここまで言語化が進んだのは本当に大きい事で、今後自分がどんなサービスするにしても全部良い方向に進めるように思えてきている。
だって気づいたら手放せるもんよ。カンタンな事や。
ここまで深掘りしなければわからない事なのに、単純に自信を持て!ってのはやっぱ昭和の美容師の教え方だよなー。と強く思う。
そもそも自分は人の凸凹があるからこそ美しさやエモさを感じる人間なのに、なに完璧目指しちゃったりしてんの?って話よね。
そこに自分の判断価値基準である、男として「カッコよい」か「ダサい」も加えていたから余計に苦しかったんだと思う。
わたし井上尚弥や大谷翔平に憧れを持っていて情報収集をめちゃくちゃしている。趣味と言っていい。(その前は、イチローや魔裟斗)
日本を背負っている所、規格外で見ていてワクワクする所。プロフェッショナルとしての姿勢やいつも結果を残す事にただただすげーなーとなるばかりである。
言い換えれば自分にウソがなく誠実である。を体現しているからこそカッケーなーと思うし、自分の力で道を切り開いてきたのもカッケーなーと思う部分だった。
そんな偉大なアスリートも周りの助けもなく自分1人の力で道を切り開いてきたわけではない。と気づかせてもらったのもあって、今はカッコいいダサいで判断するのも多少マシになったかもしれない。(たぶん)
完璧とか誠実さとかカッコよさとか美学を求めるの、もうええでしょう?
自分の魂のデザイン的にそういうんじゃない。
もっと凸凹であって、高田純次的なポジションが自分なのです。
かといって美容師を心からやりたいわけでもないのだ、おれは。
褒められれば嬉しいし、喜んでもらえるのも嬉しい。仕事自体は嫌いじゃないし趣味としてやる分には良いと思える様にもなってはきている。
ようやくそこまで疲弊せず戦う事も出来てきて嬉しい。と思ったのだがGWが割と毎日忙しくてしっかり疲弊した。
やっぱ1日ゴリゴリに働き通すのはマジで体力的にしんどいからやだ笑
ともかく今回言える事は、いい意味で完璧さの重圧から離れられて気持ちの面で軽くなれたよって事だ。
冒頭でも触れたように、そもそも技術をべた褒めされた一件もすでに自分の中に軽さが出てたのかもしれない。
なんだろうな、いい意味での距離感。抜け感というか。すんげープレッシャー放ってくる人も話せば、意外と大丈夫だったりするし。

変に期待に応えようとして勝手に疲弊する日々からの脱却が出来て、消耗する事が少なくなった。
20年してやっとやぞ。
本当にシャーマン効果なのかもと思えるくらい、ここ最近の変化が自分でもわかるくらいにめざましい。
もちろんシャーマンはひとつのきっかけで、自分自身が色々行動してきた結果が今に表れているんだけども。
今後もまた己を見つめていきたい。

健やかなる時も病める時も吼える人




