「私は単純にお笑いが好きなのではないかもしれない」 

こんな結論に辿り着くなんて、思ってもみなかった。 

自分の新たなる一面の希望的発見、というよりは、「自分は自分の好きなものさえ分からないのか」という呆然感と、今までずっと寄りかかってきたものが違ったんだという衝撃と焦燥感。でも、ずっと抱えてきていた違和感が、この考察によって説明がつく。ここから何が生まれるのかは分からないし、紐解いたとて結局すごくくだらない事なのかもしれないけど、きっとそのままにしていたら、また忘れてしまうので、備忘録として書き残しておく。 

<第1章>「単純にお笑い好き」を疑う理由1 

私は、単なる「お笑い好き」でいたかった。 

みんな、笑う事好きでしょ?面白いこと好きでしょ? 

私だって、そう。 

笑うと幸せな気持ちになる。くだらない事でも、言葉ひとつで面白みがグンと増す。ちょっとでも笑って人生送りたいじゃん。 

単純な理由よ。みんなと一緒。 

で、いたかったんだよ。

なんか、重いのとかやだやだ。 

お笑いなんて、軽い気持ちで楽しんでなんぼでしょ? 

お笑いが大好きだから 

いろんなバラエティも観たし 

いろんなライブにも足を運んだし 

一緒に仕事だってしたんだから。 

お笑い好きの人がやるような事は、一通り(いや、それ以上)やったんだから。 

私、お笑いが好きなんだよ。ねっ、そうだよね。 

でもね 

誰にも言えなかったんだけど 

お笑いを観ると、多幸感と同時に、苦しいほどの虚無感に襲われる。 

「私には、ない」感。 

やだ、なんか重い。 

でもどうしても消えない、虚無感。 

私はずっとこの虚無感を「人をこんなに笑わせて幸せにするほどの技術」に対してだと思っていた。笑いのスキルに対するリスペクトの裏返し、って感じ。 

何となくその仮定には違和感はずっとあったんだけど、見て見ぬふりをしてきた。 

お笑いの構造が理解できれば、少しは虚無感から解放されるかもしれないと思って、お笑いの本を買い漁って、研究したりもした。でも、どんなにお笑いに詳しくなっても、虚無感が消えることはなく、むしろ増していくばかり。 

なぜだ? 

<第2章>「単純にお笑い好き」を疑う理由2 

私が最も多幸感を感じ、同時に最も虚無感を感じるのが「M1グランプリ」という年末の漫才頂上決戦だ。「好き」という言葉では言い表せないほど、M1には強烈に惹かれるものが昔からあった。漫才頂上決戦なので、漫才のスキルのトップクラスが集結する。そして、王者は一夜にしてスーパースターになる。無名だった芸人たちの人生が変わる。ファイナリストがどんな技術をぶつけ合うのか、そして優勝するのが誰なのか、お笑い好きは年末になるとソワソワしてくる。 

私の周りにも、お笑い好きの人はたくさんいて、「今年の優勝は誰だと思う?」とよく質問される。「まぁ、〇〇や△△辺りが調子いい感じだけど、□□辺りがハマったら大どんでん返しあるよね」と、まるで競馬予想のような答えを返せはする。返せはするものの、そこに私の心がない感じがずっとしていた。知識でしゃべっているけど、気持ちは動いていない感じ。 

いや、単なるお笑い好きでいたい私にとっては、ここに心があってほしいんです。みんな

と同じでいたいんです。ここで、キャッキャしたいんです。 

なぜだ? 

<第3章>「単純にお笑い好き」を疑う理由3 

ある人に聞かれた。 

「他の賞レースとかも、そんなに熱を持って見てるの?」 

えっ?そう言われてみると… 

お笑いの賞レースはたくさんある。「キングオブコント」とか「THE SECOND」とか「R-1グランプリ」とか「The W」とか。 

コンクールなるものもたくさんある。「ABCお笑いグランプリ」とか「NHK新人お笑い大賞」とか。 

全部見る。 

全部見るけど 

熱を持って見ているかと聞かれるとそうではない。 

今勢いのある若手は? 

乗りに乗っているのは誰? 

どんなネタの構成? 

どちらかと言えば、知識を得に行っている感覚。 

もしお笑いが好きなのであれば、これらの賞レースやコンクールも、ちゃんと熱を持って、単純に楽しみながら見られるはずなのに。 

M-1にあって 

他の賞レースにはない 

(ウエストランドのネタみたいになってしまった…) 

M-1だけは、敗者復活から片時も目を離さず見て、もう途中から、涙が止まらなくなる。知識とか関係なく、理性が全くきかなくなり、心がギューっと痛くなる。 

なぜだ? 

<第4章>準決勝を購入したのに 

一度、疑問点をまとめてみよう。 

①お笑いを見た後の虚無感の理由 

②賞レースの優勝予想等に心が動かない理由 

③M-1にだけ尋常じゃない心の動きを感じる理由 

ここまで揃ってくると、「単なるお笑い好き」を疑わざるをえない。 

「単純にお笑いが好きな普通の自分」を肯定したかったのに、「そうじゃない」を示す証拠が揃いすぎている。 

「普通じゃない自分を追求する」や「当然のように寄りかかってきた心地よいものを疑う」というのは、正直しんどい。願わくば、目をつぶって、そのままでいたい。 

でも、どんなに普通でも、どんなに心地がよくても、自分にとって不自然なものは、どこかを歪ませる。その歪みがどんどんひどくなって、取り返しがつかなくなる気がする。まぁ、その前に、心が「いや、ちゃうやろがい!」って噴火したのかもしれない。 

その噴火のきっかけは、やっぱりM-1だった。 

M-1は準々決勝から、それぞれのネタを有料ライブ配信で見られる。コロナ禍から生まれた制度だ。今年(2024年)、私は準決勝のライブ配信を3,500円で購入した。 

昨年(2023年)は、その日のスケジュールを全て空けて、30組の漫才を全てリアルタイムで見た。会場には、独特の緊張感があるものの、漫才日本一を決める大会の準決勝とまでなると、当然のことながら、全員めちゃくちゃ面白い。スキルは高いし、構成は上手いし、オリジナリティもある。 

準決勝では、上位9組に残らないと、決勝の舞台に上がれない。つまり、準決勝では、自分たちの最も仕上がっているネタをぶつけてくるのが通例だ。そして、M-1は準決勝でファイナリストになれなかったコンビは、敗者復活戦になる。敗者復活戦は、決勝当日の昼頃からもう一度ネタをやって、1組だけが選ばれ、そのまま決勝の舞台に立つことができる。勝たないと意味がない敗者復活。当然、最も仕上がっているネタをぶつけてくる。コンビ内で仕上がっているネタなんて、もちろん何本もあるわけではない。つまり、準決勝と敗者復活戦で、同じネタをやるコンビがたくさん出てくる。これは、決勝も同じだ。準決勝と同じネタを決勝でもぶつける、それはある意味当たり前の話かもしれない。その瞬間に一番仕上がっているネタなのだから。(その点、決勝に4つのネタを持っていて、準決勝と全く違うネタを2本やって優勝した昨年の令和ロマンは、やっぱり異質だ) 

でも、準決勝から見ているこちらからしたら、新鮮味がない。いやいや、お金払って、時間もかけて見ているのに、文句言うなんて、と思われるかもしれないが、苦情が言いたいわけではない。決勝や敗者復活戦を見る時に、余計な感情が乗っかってきてしまうのだ。 

「準決勝ではもっとウケていたのにな」 

「ここの言い回しを準決勝と変えてきたのか」 

「テンポが準決勝より早くなってる、大丈夫か?」 

究極の余計なお世話。大丈夫です、口には出したりしませんから。心で思っているだけ。 

でも、昨年、この「事前に同じネタを見る」という事から生じる、「余計なお世話感情」が湧くことで、大会後の疲労感がすごかった。30組、一人ノリツッコミをしているような状態ですから、それはそれは。ただ、この疲労感の正体は、最近になってようやく気付いたもので、当時は、8時間近くもぶっ通しでテレビを見た事に対する疲労感だと単純に思ってた。 

そして今年。 

まだ準決勝チケット購入時点では、自分の事を単なるお笑い好きだと思っているため、ライブ配信チケットを何の躊躇もなく購入。面白いネタがたくさん見られるライブ、そりゃ買うの当たり前でしょ、のノリで。 

たまたま、その日は、リアルタイムで見ることが出来なかったので、アーカイブで見ようと思っていた。準決勝は木曜日、その週の土曜日に4時間ほど観賞用の時間も空けていた。 

なのに… 

私は準決勝を見なかった。 

3,500円、すでに払っているのに。 

時間も確保しているのに。 

あんなにお笑いが好きだと豪語しているのに。 

私は準決勝を見なかった。 

見ないのか、私。 

見なくていいのか? 

お前の大好きな芸人がM-1前に、どんなネタでどんな状態に仕上がっているのか、知りたくないのか? 

何度も自問自答を繰り返した。 

でも、私は準決勝を見なかった。 

そして、この考察に行き着く。 

「私は単純にお笑いが好きなのではないかもしれない」 

単なるお笑い好きなら、準決勝は見る。無料ならともかく、お金も払ったわけだから、見ないともったいないじゃないか。お金も払っておきながら見ないって、どういう性分なんだ。 

私の仮定はこうだ。 

お金を払った時の自分は「単なるお笑い好きと信じたかった自分」 

今の自分は「本当に魅力的に感じているものに気付いてしまった自分」 

そして、その「本当に魅力的に感じているもの」は、自分にとって「触れたくない痛い部分」 

ネタが見たいんじゃないんだよ。 

お笑いが好きだとか言って逃げてんじゃねーよ。 

お笑い好きの皮、被ってんじゃねーよ。 

さて、こうなったら、自分にとって「痛い部分」に触れていこうじゃないか。 

<第5章>心を揺さぶってくるものの正体 

先日、M-1のPVが公開された。 

私は毎年、このPVを心待ちにしてるのだが、その反面、見るのに心構えがいる。周りに誰もいない事を確認して、大きく深呼吸をして、震える指でスタートを押す。そして、毎年、心が掻きむしられるような感じになる。大袈裟ではなく、過呼吸になったりする。まぁ、ここまでなっているのに、「単なるお笑い好きです」は、もはやウソだ。 

自分のこの症状(病気でも何でもないんだけど)を、今まで誰にも言えなかったし、言語化できなかった。言語化してしまうと、「単なるお笑い好き」ではなくなってしまう、普通でありたい、と無意識に願っていたのかもしれない。 

私の心を揺さぶってくるものの正体は何なのか? 

同じように心を揺さぶられるものは何かないだろうか? 

自分の中で探してみる。 

スポーツ 

私は自分が運動音痴なので、見る専なのだが、たまに、あのM-1と同じ、心が掻きむしられる瞬間がある。 

例えばオリンピック 

例えばW杯 

例えば甲子園 

競技も規模も違うけど、同じ感覚がある。 

甲子園なんて、全然自分とは関係ない「新潟VS栃木」みたいな対戦で、いつの間にか泣いていたりする。どっちに勝って欲しいとか、そんなこだわりも全くない。説明とか出来ないけど、たまらなくこみ上げてくる瞬間がある。その夜、熱闘甲子園なんて見ちゃった日には…次の日に目が腫れちゃうくらい、ぐしゃぐしゃに泣いたりして。 

あー、あの感覚に近いのかもしれないな。 

そう思っていたある日、ラジオを聴いていたら、とある芸人さんが話してた。 

「M-1がここまで盛り上がる理由って、色々あると思うんですよ。4分というコンテンツの見やすさ。視聴者も、面白かった、面白くなかったって参加できる手軽さ。そこにS NSも加わるから、リアルタイムでも、放送後も盛り上がるよね。やる側も、4分の漫才って研究され尽くしてきてるから、純粋にレベルがめちゃくちゃ上がっている。学生お笑いとかも、スキルがスゴいから、見ててびっくりするもんね。 

あとはね、あれ、テレビ朝日で放送されているでしょ?でも、実は、M-1って、テレビ朝日のコンテンツじゃないんです。ABC朝日放送のコンテンツなの。当日は、製作陣もカメラも、みんな大阪から来て、東京のスタジオを借りて、生放送やっているっていう感じなんです。ABCって、甲子園の中継権持ってる放送局で、熱闘甲子園とかも作っているんだよね。そのノウハウが、M-1にめちゃくちゃ反映されているよね。」 

あっ 

その瞬間 

自分の中の点と点がすごい勢いで繋がって 

パズルがガシャンガシャンとはまり 

鍵が開いて 

大きな扉が開いて 

中に詰まっていた土砂みたいなものがドワッと出てきた感覚があった。 

ここからは、私の中の土砂の解説だ。 

<第6章>氷の女王の羨望 

「M-1」と「甲子園」を同じ人たちが作っている。 

つまり自分が何となく感じていた共通点はそこにあったんだ。 

「お笑い」と「野球」に共通点を見出そうとしていたけど、そこじゃない。 

何を題材に描くかなんて、そもそもどうでもいい話なのだ。 

どちらも「人そのもの」を映し出している。 

M-1って、お笑いの賞レースだけど、芸人のドキュメンタリーでもある。 

熱闘甲子園は、紛れもなく高校球児のドキュメンタリー。 

今回は、M-1で解説する。 

「笑い」を追求する職人たちがいかに笑いを生み出すのか?人生を賭けた大勝負、そのための苦悩と葛藤は、想像を遥かに超える。 

頭を抱える者 

強く胸を叩く者 

雄叫びをあげる者 

睨みつける者 

不敵に笑う者 

ピエロになる前の彼らは、怖いほどの闘志を身にまとい 

泣く者 

抱き合う者 

噛み締める者 

苦虫を噛み締める者 

悔しさを言葉にぶつける者 

結果を発表された彼らは、感情をむき出しにする。 

誰よりも人間らしい。 

そして 

そんな彼らが 

うらやましい 

かっこいい、とも感じるが 

一番ピッタリくる言葉は 

うらやましい、だ。 

感情をここまで露わにしても、愛されて、必要とされて、居場所がある彼らが、うらやましい。こんなに真剣になれて、こんなにぐちゃぐちゃに泣けて、それを受け止めてくれる場所があって。 

そして、コンビ間や芸人間で、言葉にしなくても伝わる、見えない絆みたいなものが感じられる。その空気感がたまらなくうらやましい。 

そして、M-1という大会を愛する全ての芸人、スタッフが、M-1を盛り上げるために、全身全霊を捧げている。それは、言葉で説明されなくても、スタッフの姿が見えなくても、こちらには十分過ぎるほど伝わってくる。愛し、愛されている形が。 

これこそが私の心を揺さぶってくるものの正体。 

そして、それを見せつけられれば見せつけられるほど 

「私には…ない」 

そう、虚無感に襲われるのだ。過呼吸になるほどの。 

その「愛」に美しさを感じ、感じれば感じるほど、そして、その光が強ければ強いほど、自分の「無」の状態がクローズアップされる。 

自分は小さい頃に、感情を表に出してはいけないと思っていた。「この瞬間から」という自覚があるくらい、最初は意図的に。感情を表に出すと、嫌われる、和が乱される、一人ぼっちになる…そうなるくらいなら、出さない方がいい、出す必要がどこにあるんだ、と何度も何度も自分を正当化して、今の自分がある。 

いつしか、感情を表に出さない状態がニュートラルになった。我慢をしてる感覚もなければ、それに対する痛みも感じない。いまだに、周りに対して怒りの感情も湧かない。 

イメージで言うと、心の中に「アナと雪の女王」並みの氷の城がある感じ。静かで、冷たくて、硬い。 

そこに、あの泥臭くて、暑苦しくて、人間味がある、漫才師の温もりを目の当たりにすると、カチカチに凍った氷が溶けていくような感覚がある。 

何とも言えない多幸感。 

でも、もちろん時間になったら終わってしまう。シンデレラのように、終わりの時間になったら、魔法は全てとけて、少しだけ溶けた不格好な心だけが自分の中に残る。 

あっ、やっぱり私は一人なんだ。あれは、夢だったんだ。虚無感と孤独感。 

氷の中は、触れられると痛いし、弱いし、苦しい。 

もはや自分でも、中に何が閉じ込められているか分からない。 

それを全力で出せる事には憧れてはいるんだろうけど、あまりにもしんど過ぎる。だから過呼吸になったりするんだろう。 

何を、こんな事にかまけているの。早く戻さなきゃ。 

と、また氷の城をせっせと作る。はい、元通り。 

そんな事を、ずっと繰り返してきたのだ。 

<第7章>「やつ」の正体 

氷を溶かそうとしてくれる、愛ある人はたくさんいた。でも、そういう人が近づくと、必ず「やつ」が心をノックしに来る。そのノックは「もうこの部屋から出なさいよ」と聞こえてくる。心の氷を溶かしそうな人が近づいてきたり、それに似たようなことがあると、「やつ」はノックしてくる。そのノックを聞くと、じっとしていられなくなり、逃げる。 

今までもずっとそうだった。 

恋愛でも 

友人でも 

ビジネスでも 

コミュニティでも 

ある程度の距離感から内側に入られると、ノックが聞こえ、シャッターを閉じて、逃げてきた。それを続けていると、「入られたら」から「入られそうになったら」になり、逃げるタイミングはだんだん早くなってきた。 

「社交性があって、友達多そう」 

とよく言われるのに、ほとんど友達がいないのも、きっとこれが原因だ。 

だから、私の心の氷に触れるのは、人ではなく、M-1や甲子園のようなコンテンツだけになってしまったのかもしれない。誰にも見られずに、自己完結することができるから。 

寂しいな、自分。 

書いてて、つくづく思う。 

なんだ、この寂しい人生。 

でも、氷を溶かしてくれるM-1のPVを毎日のように見てしまう。そして、毎回泣いてしまう。 

うらやましい 

氷の城の女王は、暗い部屋の中で、氷の鏡に映る人間界の賑やかで色鮮やかで表情豊かな様子を、密かに憧れを抱きながら見てしまうのだ。 

実は、今年はもうすでにPVを観た段階で、ノックは聞こえている。今年のM-1の火力は

かなり強い。だから、離れろ、と。現段階で、心がかきむしられるようになっているのは、きっとそのせいだ。 

あー 

こんな事だから、ただのお笑い好きでいたかった。 

ただお笑い番組1つ見るくらいで、重過ぎるんだよ。 

ただ、腹を抱えて、アハハと笑いながら、普通に楽しめばいいんじゃん。 

まぁ、それはもう無理か。 

<第8章>最後に 

でも、「ただのお笑い好き」ではないけど、もちろんお笑いは嫌いじゃない。大好きだ。 

今年のM-1は… 

4年連続ファイナリストの「真空ジェシカ」の川北さんは慶應のお笑いサークル出身で 

同じサークルで川北さんに衝撃を受けたのが「令和ロマン」のくるまさんで 

そんな「令和ロマン」に昨年のM-1で惜しくも負けて雪辱を果たそうとしているのが「ヤーレンズ」 

そんな「ヤーレンズ」が芸人を辞めようとした時に辞めないように説得したのが「トムブラウン」 

そんな「トムブラウン」を昨年M-1の敗者復活戦で下したのが「エバース」で 

そんな「エバース」にNHK新人お笑い大賞で惜しくも負けて2位になったのが「ジョックロック」で 

「エバース」とツーマンライブをやっていたのが「バッテリーズ」で 

「真空ジェシカ」の川北さんがよく着ているTシャツに印刷されているのが「ママタルト」の大鶴肥満さんで 

どの芸人からも愛されるラストイヤーにして初の決勝進出の双子「ダイタク」 

これだけでも胸アツで、誰が優勝してもおかしくない。その他にも、ここに書ききれないくらいのいろんなドラマがたくさんあって、それを知った上で、当日の決勝のネタを見ると、ウケたとかスベッたとか、順位とか、そんな事はどうでもよくなってくる。 

とにかく、全ファイナリストが、健康に当日を迎えられて、自分たちのこれまでの全てをぶつけられますように、と願うばかりだ。 

今年は、「単純なお笑い好き」改め「氷の女王」として、真正面から決勝戦を受け止めてみたいと思う。


みきてぃ

テレビ局で14年働き、仕事と肩書きを手放しました。 「間違っていないはずなのに、前に進めなくなった時間」を書いています。 迷っている途中の記録です。

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